年の瀬も迫った27日の早朝、みなさんはいかがお過ごしで
しょうか。おはようございます。ボクです。
仕事で長い休みが取れた途端生活リズムが狂うのはインド
さて世界は
上記の側面もある、ってとこでしょう。
まぁでも下記URLにある「英語人口の約7割が非ネイティブス
ピーカー」ってのは最初見たときになるほど、って思いました。
英語そろそろ覚えるかぁ(´・ω・`)
んじゃこのまえの続き。
老人にかかる医療費と社会保障費の抑制について。
昔っから人類は「問題」のある個体は一箇所にまとめ
て管理する、というソリューションを採ってきました。これ
は主に都市部において、ですが。
小規模な村落においては共同体内で面倒を見たり、処
理する、ってのが普通だったと思います。まぁそもそも小
規模な共同体では富の蓄積に限界があったので老人や
重病人、重篤な障害を負った個体ってのは長くは生きら
れないんですけど・・・。
幼児に対する幼稚園・学校。罪人に対するム所。病人
に対する病院。老人に対する養老院。
能力か素行か状態かの違いはありますが、所属してい
る社会の一般的な価値観に照らし合わせて「問題あり」
と判定された場合、まぁ正常化するために一箇所にぶち
こまれるわけですよ。
ここで問題なのは老人達は何を持って正常化したか、と
判定するかです。ってかしないよねw若返らないんだし。
今までの富の蓄積具合や技術水準だと老人達は比較的
早い段階で亡くなるのが普通だったんですが、先進国に限っ
て言えば医療技術の発展により寿命が大幅に延びています。
ボクの曾おばあちゃんはまだ存命で老人ホームにいます。
ボケてませんし(流石に新規の理解力や短期記憶の保持に
問題はありますが)家族の話だと字もしっかり書けるようです。
習字で墨の筆で「栗の木」と書かれた半紙が廊下に張られて
いたと。
彼女は101歳です。1909年生まれ。生きる歴史ですなぁ。
ま、それはともかくとして。結論、大規模な老人ホームを各
地に作り、最先端の技術で支える。
理由。費用を抑えるため。
介護は労働集約型産業と言われています。現状は下記の
URL。
そして介護ができるかどうかは端的に言って「他人の老人
のうんこを触れるかどうか」だと思ってます。
下品な話で恐縮なんですけども割りとマジっすよ。あなたは
家族のうんこを触れるでしょうか? そりゃ自分の子供、しかも
赤ん坊なら喜んで若い親御さんは触っちゃうでしょうが、しかし
・・・老人だよ? 臭いよ? 汚いよ?
ヒトや職業に対する普遍の愛があればなんとか・・・ならねー。
所詮金よ、金。
ボクだって親のうんこの始末をしろって言われたら最初は厳し
いと思います。まぁネットで数々のグロ動画や画像を見て超えて
はならない一線を超えた「気に」なっているのでなんとかなるかも
知れませんが、しかし生活が介護中心になっちゃうよねっていう。
家族の介護の問題の核心は最終的にそこかもしれんですね。
介護のために生きる。
そりゃ一般的な価値観に照らし合わせて立派だし美しいかも
しれんけどさぁ・・・。それって生きてて楽しい? っていう。
まぁ先進国に住んでて、今は生きてて楽しいかどうかなんて
自問できる分だけ恵まれてるんだよ、って言われればそれまで
なんすけどぉ。
そこでグルっと回って、じゃあなんのために生きてんだよ?
てな話になってきません? 憲法にも最低限の文化的な生活が
云々・・・。中二病ですんません。
介護が楽しいか否か、親の面倒は義理を持って見るか否か。
その最終的な解釈や感想はやっぱ個々人によって違うでしょう。
それ+生活の質は可能な限り落としたくないって人が多数だと思
います。
だから公設にしろ私設にしろ大規模かつ安価かつ入居者の快
適さを保持した老人ホームが必要だと思うわけです。
親の介護に困ったらそこに預けていいんだよ、っていう。今は費
用がかかり過ぎるし、設備的にも人員的にも満足な施設は限られて
いると思います。
ちなみに意地悪に書いておくと、老人ホームの「快適さ」は状況や
場合によってはプライオリティの低くなる項目だと思います。そうなる
理由はやっぱ金。
上記で公設にしろ私設にしろ、と書きましたができる限りやはり公設
の方がいいでしょうね。全国一律で同じようなサービスを同じような値
段で同じような快適さを入居者に与えられる。それが一種のスタンダー
ドというか保証になるわけです。それによって預ける側が「罪悪感」を
低減できるわけです。
現代の姥捨て山やゲットーと言われ様としった事か、と言いたい。
ってか今言った。日本の富は減り続けているんだよ。若年世代にでき
る事にも限度があるんだよ。
ま、ちょっと脈絡なく話題を広げすぎましたね。今日はここまで。
調和である。別に矢車さんではない。